« August 2005 | Main | October 2005 »

2005.09.30

当然の判決

「首相の靖国参拝は違憲」大阪高裁判決、賠償は認めず(asahi.com)

司法にもまだ良心が残っていたということか。

しかしこの程度の判決を「画期的」と評価しなければならないほど、状況は厳しいことを心しておこう。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

2005.09.13

新たなる希望

すべては予測したとおりの展開ではある。
とはいうものの、さすがに気が滅入った。かつて中曽根自民党が単独で三百議席をとったときですら、これほどはテンションが下がらなかった気がする。

社民党が壊滅しなかったばかりか、わずか二議席とはいえ議席を伸ばしたのは、この反動の嵐の中にあって、ひとつの奇蹟みたいなものだ。

わけても東京比例区から立候補した保坂展人さんが、自民党大勝の余波を受けて、おもいがけず当選したことの意味は小さくない。

なんでも自民が勝ちすぎて、比例名簿を使いきったために、社民に議席をゆずることになったという、うれしいんだか、かなしいんだか、よくわからない展開ではあるが、ここはしかし、絶妙な天の配剤として、この予想だにしなかったプレゼントを素直に喜んでもいいのではないかな。

予想しなかったといえば、自民党当局もこの事態は想定していなかったらしい。保坂さんもまさかこういういう成り行きで議席を手にしようとは思わなかったろうけれど、自民の比例名簿最下位の候補者だって、それは同様である。

自民最下位の候補はどこかの商店会長のおじさんで、自民幹事長の知り合いだかなんだか、まあ名簿の数合わせだろうくらいの気持ちで名簿への登載を承諾したところが、あれよあれよと赤いバラが咲き乱れ、まさか自分のところまで議員バッチがまわってくるとは思わなかったようだ。

だが、おなじように「想定外」で当選した候補ではあるが、ふたりのよって立つ位置はあまりにも隔たっている。期待される役割がまるでちがう。

自民最下位の商店会長サンは、当選早々こういっては失礼だが、自民党にとってみれば、本会議での投票マシーンとしての存在価値しかもっていない。ちょうど二世議員の小渕優子がそうであるように、それ以下でもそれ以上でもない。有権者を馬鹿にするのもここにきわまれり、だ。

たいして保坂氏は、極少数野党に転落したとはいえ、護憲派の党派から立候補したひとである。つまり、護憲派の議席を守ったかたちになる。
いよいよ憲法改悪が政治日程に上りそうな情勢にあって、これはかけがえのない、貴重な議席にはちがいない。

もちろん、多勢に無勢の一議席ではあるが、それでも議席は議席、ないのとあるのでは天と地、月とすっぽん、ビートルズとずうとるびくらいの差がある。護憲派としては、たしかに自分たちの代表を、それも信頼できる代表をひとり、国政の場に送りこんだことになるからだ。

願わくば、この蟻の一穴から大きな奔流が生まれんことを。

| | Comments (5) | TrackBack (4)

2005.09.12

明日は明日の風が吹く

選挙速報をちらっと覗いただけであるが、なんだか気分がわるくなってきた。
鬱がひどくならないうちに今夜は寝よう。

なあに、明日は明日の風が吹く。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2005.09.10

自由は死んだ、万雷の拍手の中で。

「自由は死んだ。万雷の拍手の中で」

共和国元老院の最高議長パルパティーンが「銀河全体の安全と秩序を保証するため」と称し、共和国を解体・再編、最初の銀河帝国を樹立し、みずから皇帝になる旨を宣言する場面で、ナブー出身の元老院議員(であると同時に、すでにダークサイドに堕ちたアナキン・スカイウォーカー=ダース・ベイダーの妻であり、間もなく生まれるルークとレイアの母親であるところの)パドメ・アミダラが、元老院の議席で呆然としながら、つぶやくのが上記の台詞である。
かくして、共和制から帝政への移行、共和国の議長が帝国の皇帝へと就任する件は、議場を埋め尽くす熱狂のうちに、あっさりと承認された。

ヒットラーの例をもちだすまでもなく、独裁はかような「民主的手続き」を経て完成されることが、ままある。

……と、以上は、ことわるまでもなく映画『スターウォーズ/エピソード3 シスの復讐』の話ではあるが、しかしこれが映画の世界だけの出来事なら、どんなにかいいだろうと思う。

明日の衆議院総選挙をへてこの国の体制は、いまや最悪の局面をむかえつつある。
かつての砂川闘争(一九五五~五六)の闘士・森田実氏の孤軍奮闘もむなしく、自民党の地すべり的勝利が決定しつつある。じつに暗澹たる思いがする。

この国の人間は、あきれるほど度しがたい。怒るよりも先に笑ってしまいたくなる。
ひと言でいって、馬鹿。馬鹿という言葉が乱暴ならば、頭が悪い。頭が悪いがいいすぎだとしたら、自分でものを考えなさすぎる。右といえば右、白といえば白、自己責任と言えば自己責任と言いだし、それが意味することを真剣にとらえかえすこともなく、付和雷同、烏合無象、長いものに巻かれっぱなしで、しかもそのこと自体、まるで無自覚、無頓着、無邪気といえばきこえはいいが、ようするに馬鹿。馬鹿という言葉が乱暴ならば、頭が悪い……

これが「民度が低い」ということか。知的レベルが低いといわれれば、残念ながらそのとおりだとうなづかざるをえない。
もっともこの「知的レベルの悲劇的な低さ」については、敵が長年かかって用意周到、準備万端ととのえてきたものであって、ただ従順に労働力を提供し、労働で得られた涙金をこんどは嬉々として消費にまわすという、極端にいってしまえばこの一連のサイクルこなすためだけの存在として、この国に生を受けたものが教育されてきた成果であるともいえる。

それに対して有効な反撃を組織できず、むざむざとこういう状況を放置させておいた左派勢力の責任またも大きい。

おもえば二・一ゼネストの全面的敗北よりこの方、戦後日本左翼の歴史は敗北の歴史であった。
新講和条約から六〇年安保、三井三池、沖縄返還、スト権奪還、国鉄分割民営化と、負け戦をあげればきりがないが、そんな中にあって数すくない例外のひとつが一九七八年三月二六日の三里塚、いわゆる開港阻止決戦において「空港包囲、突入、占拠」の大方針の下、天の時、地の利、人の和をもって、管制塔を完全破壊した「日本階級史上に残る勝利」くらいなものだろう(この勝利がどれほど支配階級を震撼させたかについては、当事者のひとりであった柘植洋三さんのサイトに詳しい)。

「反・自虐史観派」が主張するように、戦後民主主義がまちがっていたのではなく、戦後民主主義が不徹底、未完成だったことが問題だったのだと思う。

「永久革命としての民主主義」
政治学者の丸山眞男がかつて述べたように、民主主義はただそこにあるものではなく、不断の努力によって、闘いとらなければならないものだ。

きっとぼくたちや、ぼくたちの先達は、それを怠ってきたのだろう。
国鉄分割民営化のさい、総評・富塚三夫に代表されるような貴族化した組合官僚が現場労働者たちのたたかいを見殺しにし、自分たちの既得権をまもるために国鉄労働者たちを資本に売りわたしたなどは言語道断だとしても、しかしこの程度の人物を「労働運動の指導者」として、やりたい放題にやらせていた左翼勢力にもつよく反省をもとめなければならない。

それにつけてもこの国の民衆の、なんと御しやすいことよ。
「改革、改革」とやたら改革ぶるのはいいが、なんのための改革ははっきりいわない詐欺師同然の政治家にまんまとだまされ、なるほど改革は改革だが、それはこの国の支配階級と、かれらの盟主たるアメリカ合衆国のための改革であって、有権者の大多数には利益をもたらさないばかりか、ますます生活は圧迫され、生命の危険さえ招こうというのに、あえて自分で自分の首を絞めるような選択をしようというんだから。

「遠い昔、はるか銀河系の彼方で」
は、邪悪な独裁者を滅ぼすのに二十有余年の歳月がかかった。
予言どおり、アナキン・スカイウォーカーはシスの暗黒卿を倒し、フォースのバランスをもたらしたものの、しかし予言が成就するまでには、みずからの肉体の大部分ばかりか、そもそもそれがシスに堕ちてまで力を欲する理由だった妻までも失い、さらには銀河全体では幾多の血が流され、あまたの命が犠牲にされた。

自由民主党総裁も、内閣総理大臣も、終身皇帝でこそないから、あの阿呆面がこの先一生、最高権力者の座に居座りつづけることはありえないが、それでも「総選挙に勝利した」事実を錦の御旗にかかげ、国民から白紙委任されたとばかり、より強大な権力を手にすることはまちがいない。

そうしてその権力のもと、広告代理店とマスコミに扇動された熱狂のなかで、すべては邪悪な勢力の醜悪な意志のとおりに事態は進行し、この国に生活する人民を奴隷化する体制はより完成に近づくだろう。人民は、奴隷としての自分に気がつき、しまった、だまされたと思いいたればよし、──だが多くのひとは現在すでにそうであるように、自分が奴隷の境遇であることにすら気づかず、逆に奴隷だと指摘するひとたちを攻撃するだろう。また、すでにその萌芽が散見されるように、不平、不満のはけ口を正当な矛先である国家権力、資本主義政府に向けられることなく、権力の意のままに、より弱い立場のものを迫害し、また中国や韓国など、他民族、周辺諸国への差別を助長し、無用な対立を惹起するだろう。

郵政が民営化され、莫大な額の郵貯、簡保が市場に開放されることで、アメリカ資本に資金提供する目途はついた。
つぎはアメリカ合衆国軍隊の下請けとして、アメリカの世界支配のために日本人の生命を提供する番だ。強大な権力を手中におさめたうえは、憲法九条を改悪し、自衛隊を国軍化、たとえ兵役の義務を課さずとも、より貧しいものは軍隊に行く以外に生存の機会がないような社会に作りかえれば、戦闘員の供給にはこと欠かない。

こうして日本の民衆は、その精神と肉体をアメリカ合衆国とその配下である日本の支配層にやすやすと明けわたし、壊れやすい部品から構成されたロボットとして全存在を搾取され、享受すべき人生を享受しないまま、その一生を終えることになる。

それでも、フォースにはバランスがもたらされる。老獪かつ狡猾な銀河皇帝=ダース・シディアスでさえ、帰還したジェダイによってシャフトの底に投げこまれる。腐敗した権力が長くつづいたためしはない。おごれる平家は久しからず。官軍は、いつまでも官軍のままではいられない。ルーマニアのチャウシェスクは、得意満面で演説しているさなか、群衆の中から突如としてわきおこった罵声の前に、顔色をなくし、やがては君臨してきた権力のみならず、最後には自分の生命までもなくした。そのきっかけは、群衆の中のたったひとりが「人殺し!」と叫んだことだった。

洗脳は、それが洗脳だと気がついたときその効力が消える。たとえぼくたちが斃れても、未来の世代がこの圧政の泥沼から起ちあがるときが来る。いつの日か、鉄鎖を断ち切るときが訪れる。しかしそれはまだ、ずっと先のことだ。その間にぼくたちは、いったいなにを失うのだろう。

| | Comments (6) | TrackBack (8)

2005.09.08

せめて文句は言え

衆議院総選挙が間近に迫る。

選挙が近くなると、きまってきかれるのが、
「投票に行かなかった者(棄権した有権者)に、政治に対する文句を言う資格はない」
というものだ。

ほんとにそうか?
そうなのかもしれないが、しかし、問題は

「投票にも行かず、文句も言わず」

というひとが多いということではないかな。
すくなくともぼくは、投票に行かなかった人で、文句を言っている人を見たことがない。

なんだかよくわからないけれど、政治に関心がないのか、ろくな候補者がいないのか、どうでもいいと思っているのか知らないが、選挙は行かず、文句は言わず、ただひたすらおとなしく、日常の労働と消費に追われ、そうしてひっそりと死んでゆくとは、支配層にとって願ったり叶ったりの人たちではある。

このさい、選挙なんぞ行きたくないんならそれでもいいが、だったらせめて、

文句は言え。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

« August 2005 | Main | October 2005 »